2018年10月27日土曜日

ビデオで反省

 発表会のビデオと、定期演奏会のビデオを、相次いで視た。

 発表会の方は、スタジオの奥さんの旦那さん(ちょっと回りくどい言い方ですが)が、昔はテレビ局にお勤めだったらしく、いつも慣れた手付きで撮影しては編集してくださるものだ。自分だけでなく、全出演者の発表が含まれている。他の人のものは果たしてどれぐらい視てもいいものなのだろうか、と思いながら、まずは自分のものを視る。しかし、いきなり自分のソロの演奏を視るのは勇気がいるので、まずはアンサンブルの演奏を視て心の準備をする。
 ヴォーカル、ピアノ、マリンバ、サックス、クラリネット、ヴィオラという、他では絶対にないアンサンブルなのだが、ヴィオラはアクションが大きい。マリンバもそこそこにアクションはあるのだが、楽器の前に楽譜を置かれていたので、手元はあまり映っていない。ヴィオラは譜面台では隠し切れないぐらいのアクションになるので、ステージ全体を撮った動画だと、ヴィオラだけが演奏されているように見える。こんなに晴れがましかったのか。ま、しかしヴォーカルがあれば、ほとんどのオーディエンスの注目はヴォーカルに向いているはず。音もピアノがどうしても目立つので、他は飾りのようなものだ。そういう状況で、あまり周りの邪魔にならないようにちゃんと弾けている。
 ソロの方は、弾いているその時は結構大胆に弾いていたつもりなんだが、ビデオで見ると、最初から慎重な弾き方に見える。なんとか失敗しないように最後まで… そんな思いが見え透くような演奏だ。やはり演奏には人柄が表れる。演奏は思ったよりもまずまずで、練習のときにスマホで録音したときの音色よりもずっとヴィオラらしい音にはなっている。ただ顔がダメだ。どうしても指が出にくい小指だとか、移弦の難しいところだとかは、全然関係のない筋肉まで使って全身全霊で音を出している。それが顔に出てしまう。必死で弾いているぐらいならいいのだが、なぜか口をパクパクさせたり、ポカンと開けた口を不必要に歪めたりして、なんだか見苦しい。こりゃかなりの減点ポイントだな。

 定期演奏会の方は、演奏会が終わってからは来年の春まで練習を休むことになっているので、わざわざ送ってきてくださった。こちらの方は、後ろの列なので顔は映っていない。ただ前の方が結構小顔だったので、その方の顔の後ろから私の顔の輪郭がはみ出して映っているのだが、口を開けたり歪めたりしているところは映っていない。
 こちらは前から順に最後まで全部、視る。プロのエキストラのおかげで全体としてはとても良くまとまっている。ヴィオラの音があまり聞こえないので、もうちょっと人数がいた方が良かったのかなあと思って聞いてみたら、ヴィオラとはそういうものだ、ということだった。モーツアルトなんか、トップヴァイオリンとの掛け合いで結構おいしいフレーズもあったのだが、やはりあまり目立たない。おまけにピアノコンチェルトなので、舞台の中央はピアノで屋根も全開。視覚的にもヴィオラはまったく見えない。まぁ間違って目立つよりも目立たないぐらいがちょうどいいのかもしれない。
 演奏家が終わって、どこかホッとしている気分で視るためだろうか、ビデオを見ていても、楽しくてたまらないというより、なんとなく終わってホッとしているような様子が伝わってくる。どうすればもっと楽しく演奏できるのだろうか。いや、見ている人に楽しそうっと思ってもらえるのだろうか。

 発表会も演奏会もそうなんだが、やっぱり気持ちに余裕がないとダメだよな。

 ほんとうはもっと繰り返し視て、どこでどうなってこんな演奏になったのか、ということを客観的に細かく反省しないとダメだ、と先生が仰っておられたのだが、それはそれで結構勇気がいることだ。いい演奏だったと思っていたところが実はそうではなかったり、失敗したと思っているところがそれほどおかしくなかったり、記憶と記録は必ずしも一致しない。だからこそ繰り返し視ないといけないのかもしれないか、あの顔はもう見たくないな。

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