2015年12月23日水曜日

楽譜への固執

 そんな訳で、自分の中では来年の発表会の曲が決まった。第一楽章の前半ぐらいは、
たぶん、この人はこんな曲を弾きたいんだろうな
ということがわかる程度には弾けるようになった。聴く人の豊かな想像力と音楽への造詣、前向きな考え方と、共に音楽を愛する人に対する慈しみがあれば、きっと素晴らしい演奏だと思っていただけるに違いない。

 レッスンでもまあまあ弾けた。
 今回は、呆れられたりはしなかった。

 だけど、リズムに関しては相変わらず厳しい。まず、付点音符が三連符になっているという指摘。これは難しい。電子メトロノームには付点音符と三連符のビートを取ってくれるモードがあって、三連符はピッポピッポピッポ、付点音符はピッッポピッッポピッッポと鳴るのだけれど、これ、全然区別つかない。
 これまで付点音符といえば、タッカタッカ、とリズムを取っていたのだが、それではダメで、いちばん小さい音符を基準に細かく区切って、タァァカ タァァカ、というように弾きなさい、とのこと。
 んじゃ先生、ここはどうするんですか?
それは

タァァァアァァァ タァァカタァタァ タァァァアァァァアァァァアァァァ アァァァアァカァ タァァカタァァァ タァァァアァァァアァァァタァタァ (以下省略)

ですよ。
あ、だめだこれは。
聴き覚えではダメだし、でも譜も読めないし。先生が仰るには

聴いている人がこの通り譜が書けるように弾かないとダメです。

とのこと。ここがプロとアマの決定的な違いのひとつかもしれない。アマは(というか自分を基準にすれば)、演奏を聞いて譜を取ることなんてない。いい曲だなぁ、と思ったら、まず誰かが書いた楽譜を探すし、自分で譜を起こそうなどとは滅多に考えない。

 でも、これ、葉加瀬太郎もこうして楽譜を起こして弾いているのだろうか。ジャズなんかはどうなんだろう。ちょっと旧いけど宇多田ひかるとかは、自分で作曲するときに楽譜を書いていたのだろうか。誰かの歌を聴いて譜を起こしたりするのだろうか。
 まぁするんだろうな。
 それ以外に、思いついたアイデアを固定して、誰かと共有する手段てないもんな。いやもちろん弾いてみるとか、録音するとか、いろいろあるだろけど、いちおうこれが共通言語だもんね



2015年12月3日木曜日

Handel Violin Sonata no.4

 何気にYoutubeを見ていて素敵な動画を見つけた。


 第1楽章ならゆっくりだし、発表会晴れしそうな気がする。ネットで無料楽譜を探したら、あるある。便利な世の中になったものだ。まずはその楽譜にイタリア語のフリガナ(ドレミのことね)を振って、1オクターブ下をビオラで弾いてみる。

 なんじゃこりゃ。

 意外と弾きにくいものだ。ゆっくりだけど32分音符がところどころに置かれていたり、この前のテレマン以来の鬼門になっている付点音符がてんこ盛りだったり。自分で弾いていて何弾いているか訳が分かんなくなってくる。音源を何度も繰り返し聞いて、なんとかリズムを覚えようとするのだが、なかなか覚えられない。

 そうこうしているうちにレッスンの日が近づいてくる。
 しょうがねぇ。第1楽章の前半だけでも聴いてもらうか、と思って弾いてみるのだが、先生、ちょっと呆れ顔。もうちょっと練習してからレッスン来いよ、と顔に書いてあるのだが、

まだ、大丈夫ですよ。
時間ありますから。

と慰めの常套句。
先生が仰るには、聴き覚えじゃなくて、ちゃんと楽譜見て、楽譜通りに弾けるようにしましょう、とのこと。こういう曲は楽譜が全て。その辺はシャンソンだとかアナ雪とは違う。楽譜に書かれたものを音に出して、その音だけで聴衆に訴求する。リズムも感覚とかじゃなくて、手を叩きながらまず歌ってみて、取りにくいところは細かく区切りながら正確にとる。付点音符も「タッカタッカ」じゃなくて「タアアカタアアカ」と刻んでリズムを取る。
 うむ。
 仰ることは分かるのだが、これだけリズムが複雑だとそれも面倒な感じ。

 ま、しかし、メトロノームで八分音符を刻みながら練習してみると、上手くリズムが取れないところは何箇所かに絞られてくる。

 それと並行して、ヴィオラ譜の採譜。ト音記号を見ながらそのオクターブ下を弾くとなると、音符が線の上にある時と線の間にある時の指の動きが反対になってしまう。線の間にある時は開放弦か、2指、ときどき4指という法則性があるのだが、線の上にある時が開放弦になったりする。やはり、ちゃんとオクターブ下げてハ音譜で採譜しなければ。

 採譜したらいっかい再生してみる。これも便利な世の中だ。

 そんなことで、まだ前半だけだけれど(それも第1楽章の前半ね)、
何となくやけど
どんな曲を弾きたいかはわかるわぁ
と、言ってもらえるレベルを目指して練習する。あとは心の耳で聴いてください。聴く人の人格と教養によって如何様にも素晴らしい演奏になることでしょう。