弓を折ってしまったのはいい機会だ。こういうことでもなければ弓を買い替えることもないだろう。しかし、妻からお小遣いをもらう「家庭内プロレタリアート」としては、使える予算は自ずと限られている。
とはいえ、こういう時にあまりおカネの話もしたくないものだ。もともと世俗的な利益のために購入するものではない。現世でこの出費の見返りを期待することは出来ないのだ。お店で値切るなどというのはもってのほか。値段は言い値で、あとは気に入るかどうか、納得するかどうかだけの話だ。
自分の耳を頼りに選ぶという意味では、前回、喩えに引いたクルマよりも、オーディオの方が近いかもしれない。今回、自分が物色している価格帯もそれぐらいの感覚だ。オーディオの場合は、自分の気に入っているCDだとか、その他の音源をお店に持ち込んで、実際にそのオーディオで聴いて、どれが気に入るかという基準で選ぶ。
ただし、弓の場合は、同じものがどの店にもあるという訳ではないので、機種を選んでからそれをどこの店で買うか、というところは悩む必要はない。その代わり、他の店にはまた別の商品があるので、物色する店を増やせば増やすほど、選択肢も増え、それに比例して悩みも増す。そして、たいていは価格が少しずつ上がっていく。
オーディオとのもう一つの違いは、音を聴き分けるのに自分で弾かないといけないことだ。そこには自分の技量というノイズが入る。なんとなく…と思うのは、弓の性質によるものなのか、自分の技量によるものなのか、そこの見極めも難しい。それに、この先何年も使っていくうちに、弓の性質も自分の技量も変わっていく。そこを予想するのはもっと難しいことだ。
と、
薀蓄が長くなったが、結局、何が悩ましいかというと、工房で無理を言って借りている弓よりも、楽器屋で試奏した弓の方が、自分にとってはグレードが高かったのだ。値段はそれほど変わらない。
それで、昨日の記事にも書いたのだが、とりあえず、その日は買わずにいったん検討することにした。もう一度よく考えよう。いや、それよりもう一度弾いてみよう。こっちの方がいいなというのは、そのときのコンディションの所為かもしれないし、自分の感覚も日によって違うかもしれない。
もともとは、工房で弾いた弓でほぼ決めていたのだが、思っていたより予算が嵩んだので、決断がつかず、楽器店をまわって「やっぱりこの弓しかない」と納得して買うつもりで楽器店に行ったのに、意外な展開になってしまった。当初の予定では、何軒か楽器店をまわって、納得感を高める計画だったのだが、この調子では弾けば弾くほど悩みが増すではないか。
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