2013年8月18日日曜日

逆境を乗り越えて

 娘たちが大きくなって、いっしょにプールに行くこともなくなったが、まだ小さいうちはよくプールに連れて行ったものだ。まだ小さいうちは、自転車の前と後ろに子供たちを乗せて行くこともあったし、子供たちが自分で自転車に乗れるようになると、後ろから子供たちを見守りながら自転車をこいで行くこともあった。その頃はちゃんと自転車に乗れていたのに、最近、ちょっとした坂道になるとどうしていいか分からなくなってしまった。以前、出来ていたことが出来なくなっている。こういうのは少なからずショックだし、寂しい気持ちになる。
 ヴァイオリンを弾いている時間は、自分がこれまでは出来なかったことが出来るようになるのを実感できる、おそらく唯一と言っていい時間だ。3年前の発表会の先生のお手本演奏でバッハのドッペルを聴いて、いつか自分も弾けるようになったらいいなと思ったものだが、いまそのドッペルが手に届くところまで来ている。あともう少しで弾けるのだ。その「あともう少し」がなかなかゴール出来ない苦しみはあるが、3年前に出来なかったことがいまは出来ると思えるのは心地のいいものだ。しかし、それも少し練習を怠ると目に見えて弾けなくなる。最近、その3年前の発表会で弾いた曲を弾いてみたり、バヨ会の定番だったパッヘルベルのカノンを弾いたりしてみると、弾けなさ加減にびっくりする。それでも、そこそこの頻度でヴァイオリンに触れていれば、少し練習すればまた弾けるようにはなるのだが。

 さて、今日は158回目のレッスン。上の娘がピアノを習い始めたのをきっかけにヴァイオリンを再開したのが2003年11月なので、もうすぐ10年になる。最近でこそ月2回のペースでレッスンを受けているが、最初のうちは月に1度受けるかどうかというペースだった。よくぞここまで続けたものだと思う。仕事で時間が取れない。家族の理解が得られない。四十路の手習いはそんなこととの闘いだった。それは何も合理的に解決できることばかりではない。パチンコに興じる父親が子供の給食費にまで手を出して家族を顧みないことに比べれば、夜な夜なカラオケボックスでヴァイオリンを弾いたり、レッスンやバヨ会で休みの日に家族を放ったらかして出掛けることなど、そんな大した罪にはならないように思えるのだが、家族からの、特に妻からの風当たりの強さがどちらが強いかといえば、一概に前者が強いとも言えない。

 そんな暴風が吹き荒れる中で迎えたレッスン。とにかく悔いのないようにしておきたい。今日はヴァイオリンだけでなく、ヴィオラも持って行って、これまでの集大成のような気持ちでレッスンをしていただく。
 音楽的センスのない私にとっては、どんな曲でも初見で弾けるようなものはない。合奏などしようものなら、CDを買ってきたりネットで音源を探したりして何度も聴き、楽譜を見ながら自分のパートの音を追って、ある程度聞き覚えが出来てから何度もその曲を弾いて、やっとみんなと同じレベル、いや、みんなの足を引っ張らない、というか、みんなに「ま、しようがないよね」と勘弁してもらえるレベルだ。それだけに、これまでに弾いた曲のひとつひとつに、まわりのみんな以上に強い思い入れが湧いてくる。その中でも、特にこれはといえば、やはりこの曲だと思う。



昨年の発表会で先生と弾いた曲。1年以上、ほとんど2年近く、レッスンでこの曲ばかりをご指導いただいた曲。ファーストヴァイオリンとセカンドヴァイオリンが交互に主役になって、まるで初々しいカップルが初めてデートをして会話をするような曲。発表会のときはファーストだったが、そのあとはファーストもセカンドも弾けるように練習をしていた。今日はこれを先生とハモらせたい。
先生は、ここのスタジオばかりではなく、いろんなところでいろんな生徒さんをご指導されているはずなのだが、ひとりひとりの生徒のことを本当によく見てくださっている。月に2度ぐらいのレッスンなのだが、前回のレッスンでどんな指導をしてどこが課題になっていたのか、すべて頭の中にメモをされているようだ。「今日はこれを弾きたいです」と楽譜を出したときに、「あ、懐かしいですね」と仰る。そう仰るだけでも嬉しい。
 まずは発表会のときのように、先生にセカンドを弾いていただいて、ファーストを弾く。この1年ほど、ドッペルをやりながら、ボウイングや移弦などの基本的なところをいろいろ見ていただいた成果があって、発表会のときよりも上手く弾けたように思う。いま思えば発表会のときは「上手く弾かなきゃ」と緊張もしていた。初めてのデートで「手つながな~」と変に力が入っているみたいな感じだ。それに比べると今日は本当に自然体で弾けた。
次はセカンド。先生にファーストを弾いていただく。練習は時々していたが、合わせる練習はあまりしていないのでちょっとぎこちない。いちおう発表会の前には何度も先生とハモらせているので、始めて聴くメロディではないし、どこにどう被さってくるのかとか、そういうところは一応はわかっている。バヨ会で弾いたこともある。今回は先生に上手くリードしていただいて何とか最後まで弾けた。
最後にチェロパート。ファーストヴァイオリンが女の子でセカンドヴァイオリンが男の子とすると、チェロは二人が幼いころから親しくしている近所のおばさんだろうか。ヘ音記号だと弾けないので、先日、ハ音譜を起こしてヴィオラでも弾けるようにして練習し始めたところだった。先生にその楽譜を見せると「じゃ弾いてみましょうか」とハモらせてもらえることになった。でも、これはやっぱり上手くいかない。何度かやってみたが今日は出来なかった。
 しばらくヴァイオリンから離れて、いつか久しぶりにヴァイオリンを弾く時が来たら、この曲から弾いてみようと決めた。今日、この曲は弾けなかった。だから、久しぶりに弾いてみて弾けなかったとしても、それは出来たことが出来なくなったわけではない。もともと出来なかったものだから、その練習の続きだ。そう思えばブランクも乗り越えられるはずだ。いつか、四十路テナライストのいろいろな逆境を乗り越えて、この曲を弾いてみたいと思う。

2013年8月11日日曜日

月の光

 子供の発表会が終わって、スタジオはしばらく夏休みモード。子供たちのほうは本当に夏休みで、発表会前のように二人でピアノを取り合うようなこともない。私の方は指弓練習に余念がない。1回3分×1日3回 という目標はなかなか実現できないが、1回3分×週3回 ぐらいなら・・・・ これじゃ全然ダメなんだが。

 発表会で上の娘が弾いたのはこの曲(動画は他の方の演奏)。
   

 動画は電子ピアノで演奏されているが、娘の演奏も普段は電子ピアノで聴かされていた。その時から、これを発表会会場のホールにあるコンサートピアノで弾いたらどんなになるのだろうかと楽しみにしていたが、期待に違わぬ演奏だった。親ばかフィルターを外してもそこそこの演奏だったはずだ。
 それはさておき、なぜこの曲を出したかというと、この曲の随所に桜の散る音が織り込まれているのを聴いてほしかったからだ。ちょっと季節外れの話題だが、毎年、至るところに桜が咲くのが日本の春。普段は雑木林の景色に埋もれる桜が、地面の底から命が吹きあがってくるかのように芽吹き、花を咲かせ、春の陽光の中を吹くまだ肌寒い風に花びらを舞わせる。毎年見ている風景なのだが、そのときの音をこれまで聞いたことがない。「ヒラヒラ」とか「ハラハラ」などと表現されるが、それはあくまでも擬態語であって、どれだけ耳を澄ませてもそんな音は聞えない。
 それが、この曲の中では確かに桜の舞い散る音がしている。最初は1枚2枚・・ そして花吹雪のように。

 発表会では講師の先生のお手本演奏も聴かせていただけるのだが、バヨ先生が弾かれたのはモーツアルトの「キラキラ星変奏曲」。もともとピアノのための曲だが、小バヨ先生と二人で弾いてくださった。ヴァイオリンで弾いている動画は見つからなかったが、こんな曲だ。


 ここでも確かに星がキラキラ光っている音がする。星が光る音もいままで聴いたことがない。田舎とはいえそこそこに街の灯りもあるので、こんな星空を見ることもないのだが、おそらく北海道かどこかの原野に行って夜空を見上げて耳を澄ませても、こんな音は聞こえてこないと思う。
 いちど心の耳を研ぎ澄ませて聞いてみたいとは思うのだが・・・。

 極めつけはドビュッシーの「月の光」だと思う。西洋ではどうだか知らないが、私が使う日本語の中には月の光を表現する擬音語も擬態語もない。月は夜空に静かに浮かぶもので、キラキラという星の囁きも月が現れると静かになる印象がある。月は「輝く」ものではなく、ぼんやりと浮かんでいるものなのだが、この曲を聴くと、確かに月から光が降りそそいで、夜の暗闇を包み込んでいるような気がする。



2013年8月4日日曜日

子供の発表会

 いつもヴァイオリンを習いに通っているスタジオの発表会があった。スタジオの生徒はもちろん大人だけではない。子供もたくさんいて、子供の発表会は毎年ある。うちの娘たちは二人とも3歳からピアノを習っているので、毎年、この発表会には家族総出で出掛けることになる。
 先生も仰っておられたが、今年はなかなかレベルの高い演奏だった。演奏もそうなのだが、聴いている行儀がいい。ピアノを習い始めた頃の娘が発表会に出るときに約束させたのは、1)失敗しないように練習しよう 2)失敗しても最後まで弾こう 3)他の人の演奏もちゃんと聴こう の3つだった。この3つ目が出来る子供と出来ない子供がいるのだが、そういうことが出来るか出来ないかで演奏も「あと一歩」っというところが変わってくると思う。大人も、自分のこどものところだけ聴けばいいとばかりに途中で出入りしたり、ビデオや写真を撮るのに必死になっていたりなどといったことには気を付けないといけないと思う。そういう心掛けで発表会の雰囲気は大きく変わると思うし、それは舞台の子供たちにも、聴いている子供たちにも伝わるものだ。

 ヴァイオリンの子供たちは、私と同じ先生を師と仰ぐ兄弟弟子。レベルからいうと子供たちの方が兄弟子だろう。年齢ははっきりとは知らないが、小学校3年生ぐらいの男の子は毎年このステージに立っていて、いつもどんな演奏をするのか楽しみにしているのだが、堂々の立ち振る舞いで立派な演奏だった。思わずスタンディングオベーションしたくなるような素晴らしい演奏だった。バッハ無伴奏パルティータ3番のプレリュードを弾いた子は中学生ぐらいだろうか。難易度も高いのだが、無伴奏で休みなしにあれだけの長い曲を演奏するという集中力がすごいと思った。

 うちの娘はピアノだったが、これも堂々の演奏。二人ともこれまでにない新しいレベルの難易度の曲に挑戦した。最初の発表会のときはまだ右手だけの曲だったり、ほんの数小節だけの曲だったりしたもので、その頃、中学生の子の演奏などを聴くと圧巻だった。いまうちの娘たちがそんなふうに小さな子供たちを圧巻するような演奏をしている。10年とはかくも長きかくも長き歳月なのかと、自分の成長の遅さはさておいて感心してしまった。