2025年2月9日日曜日

アルプスの少女 ハイジ

 年末・年始もブログの更新ができず、また空白月を作ってしまったが、練習は続けている。いちおうね。平日はあまり時間が取れず、睡眠不足がちで、休日はその睡眠を補いつつ、ヴィオラ以外にもなんだかんだと用事があって、なかなか練習時間が取れないのは事実。もう、こんな会社、早く定年退職したいよ~。

 とはいうものの、レッスンは月2回のペースで受けている。いつも直前に慌てて練習をして何とか前回のレッスンで指摘されたことを改善しようと踏ん張っているのだけれど、それ以外にも、やはり先生の話を聞いたり、演奏してもらったりすることは、本当にためになる。

 次の発表会で弾くテレマンのヴィオラ・コンチェルト。

 何か感情を移入するというようなところのない曲だけれど、先生のお手本演奏を聴くと、なんというか、単純に「楽しく」というのではなくて、なんとなく励まされているような、何かそんなイメージが湧いてくる。いままでこの曲から感じたこともないイメージ。そうだ。ハイジが連れていかれたフランクフルトのクララのおうちで、ハイジがその小さな心で思い悩みながらも一生懸命に自分の役割を果たそうとしているのをみたおばあさまが、セバスチャンを呼んで、

おや、このピアノも埃だらけね。でも音は出そうだわ。なんだか久しぶりに弾くのはワクワクしてくる。セバスチャン、あの曲をハイジに聞かせてやっておくれ。

といって徐に鍵盤をたたき、それに合わせてセバスチャンがヴィオラを弾きだす。最初のフレーズは、ヴィオラなんて見たこともないハイジに、こんな音がするんだよ、と弾いて聴かせるように弾く。次はちょっと楽しげに。だんだんとフレーズに変化が出てきて、それに引き込まれるように聴き入っているハイジ。

私も弾いてみたい。クララに聴かせてあげたい。

そんなことをいってロッテンマイヤーさんに叱られるハイジ。「また聴きたくなったらいつでも弾きますよ」とセバスチャン。「そうだ、お嬢様に聴いてもらうのだったら、もっと練習しとかないといけませんね」。セバスチャンだったら、どんなふうにこの曲を弾くだろう。どんなふうにハイジに聴かせるだろう。そんなことを考えながら弾くのは楽しい。

 きっと自分自身が毎日仕事に追われ、フランクフルトのハイジみたいにけっこう追い詰められていて、誰かにそんなふうに励ましてほしいと思っていたのかも知れない。それで今度は自分がセバスチャンになって、どうやってハイジを励まそうかと考えている。こんな気持ちで演奏できるのはきっといまだけだと思う。

ヴィオラをやっていてよかった。

きっとこれで仕事もなんとかやっていけるようなきがする。

2024年12月8日日曜日

ヴァーチャル・ピアノ合わせ

    最近のネット・コンテンツの充実はすごい。発表会に向けて、メトロノームで練習するばかりでなく、実際の演奏と合わせてみたいと思えば、即座にプロの演奏が見つかる。再生速度の調整もできるので、自分の実力に合わせた速さで、プロの伴奏で、プロの演奏家といっしょに演奏ができる。それだけでもすごいことなのだが、なんとピアノ伴奏だけの動画まであるではないか。ヴィオラ界では定番とはいえ、そもそもヴィオラをやっている人が少ないわけで、この曲を発表会で弾く人が果たしてどれぐらいいるのか、とも思うのだが、世界中を探せば、いまこの時期に何千人もの人がこの曲を発表会で弾こうとしているに違いない。発表会でオケが伴奏につくという人はまずいないから(演奏会なら別だけど)、大概はピアノ伴奏。だから、発表会を目指してこの曲を練習している人の数だけ、その伴奏を頼まれているピアノ奏者(それも半分以上はプロの方)がおられるに違いない。そのなかの誰かが気を利かせてこんな動画を上げてくださっている。

「これは便利」というだけでなく、なにか、世界中でこの動画を使ってこの曲を練習している人がいると思うと、なにか心強いというか、僕も頑張ろうという気持ちがわいてくる。

 1楽章から4楽章まで、全楽章を通して練習できるようにしていただいているが、私の場合、今回は第2楽章だけなので、そこばかり繰り返し伴奏してもらえるようにアレンジした…つもりだったけど、リピートされると第1楽章から再生される。記事そのものを再表示させれば第2楽章から再生されるのだが…。

 ま、他人に作ってもらったものの恩恵をただで享受しようというのだから、これぐらいは何でもない。


2024年11月16日土曜日

アマチュア・アンサンブルの衝撃的演奏

 今日は隣町の立派なコンサートホールで、アマチュア・アンサンブルの演奏を聴いてきた。たまたま見つけて聴きにいったのだが、今回が初めての演奏会だそうだ。ヴィヴァルディの調和の霊感9番ニ長調、以前に弾いたことのあるエルガーの弦楽セレナーデなど、私にとっては珠玉の選曲。

 私自身がヴィオラを弾くので、どのアンサンブルでもとにかくヴィオラに目が行きがちなのだが、今回はもうヴィオラから目が離せない。アンサンブルを指導なさっている先生がヴィオラのトップで、とにかく全身で楽しそうに演奏をされる。少人数なので、なんとなく誰の音なのかもわかるのだけれど、とにかくこの先生の音が良く通る。調和の霊感ではヴァイオリンに持ち替えてソロを演奏されたのだが、これがもういい意味で
破天荒!
普通だったら「楽譜通りに弾きましょう」なんて言われそうなのだけれど、そしてもちろん楽譜通りに弾けるからこそこうしておられるのだろうけれど、「あれ、そこ装飾音ありましたっけ」「そこ重音でしたっけ」みたいな、およそクラシックの演奏とは思えないような、まるでジャズの即興演奏のような演奏。TuttiになってもまるでSoloのような演奏。もう聴いていて、楽しくて仕方がない。ステージの上からビームのように楽しさが伝わってくる。気が付いたら自分が笑っている。終盤に向けて演奏はますます盛り上がっていく。最後の2小節ぐらいで、もう腕は拍手をする準備万端。それも自分の顔より高い位置。最後の音だ。弓が止まった。その弓を高く掲げた。もう堪らなくなって拍手を送る。

 エルガーの弦楽セレナーデも、実はヴィオラが結構活躍する。そして難しい。他の曲もヴィオラ成分が多めの積極のように思えた。それは単に先生の演奏がそう思わせているのかもしれないが。とにかくCDやYouTubeでは聴けない演奏だった。知っている曲なのに、いままで聞いたこともない演奏。きっと同じ曲を同じメンバーでもういちど弾いても、同じ演奏にはならないのだと思う。

 先生の演奏だけではなくて、メンバー全体のやりたいことが良く見えてくる演奏だったと思う。上手くは言えないけれど、演奏の技巧とかそんなことではなくて、こういうことを伝えたいのだ、ということが良く伝わってくる。とにかく衝撃的だった。

 また聴きに行きたい。

2024年10月27日日曜日

舞曲のように

 テレマンのヴィオラコンチェルト(TWV51)第2楽章。

  ヴィオラを習っている人にとっては、数少ない発表会用の曲だと思う。そもそもヴィオラを習っているという人口が、他の楽器と比べて極めて少ないので、どれだけ有名な曲かと言えば、たかが知れているのかも知れないが、琴といえば六段、尺八と言えば春の海、ぐらい有名でもおかしくない曲のはず。

 来年の発表会に向けて地道な練習が続く。

 さて、まだちゃんと弾けないフレーズもあるのだが、レッスンは次第に「曲想」みたいなところに進んでいく。弾けないところは、弾けるまで練習するしかないので、レッスンで弾けないところを弾けるまで見ていただくのは、あるいは時間の無駄かも知れない。

 それで、この出だしのわずか2小節なのだが、このフレーズは、この楽章の主題なので、このあとも何度も出てくる。なので、これを歌い上げるように

ラッ タン タン タァアア タラタラタラ タラタラタッタァアア タラタン

と弾いていたのだが、昨日のレッスンでは、拍またぎになっているスラーのところを「タァアア」と伸ばすのはやめて、「タァー」と軽く弾くようにとのご指導があった。バロック時代の曲なので、バロック楽器で弾くように。バロック楽器のヴィオラの弓は、モダン楽器のように反っていなくて、矢を射る弓のように弓形になっている。先弓や元弓では巧く音が出せないのか、「抜く」感じの演奏が多い。そういう感じなのだと思う。

 そして最後も、「タラタン」と強く終始させるのではなく、伴奏に主役を「どうぞ」と譲るような感じで。

ラッ タン タン タァーン タラタラタラ タラタラタッタァー タラタ

 を、これはなかなか深い。

 でもこうして弾いてみると、いままでカンタータのような感じだったものが、どこか舞曲のような感じになるから不思議。練習で弾いていてもちょっと楽しくなってくる。

 調子に乗って、you tubeの動画に合わせて、再生速度を0.75倍ぐらいにして弾いてみるのだが、やっぱり指が回らないところがあって、最後まではちゃんと弾けない。

 やっぱり、全部通してちゃんと弾けるようになるのが先だな。

2024年10月13日日曜日

自己顕示欲

 人前で演奏するときに、弾いている自分が何を考えているかは、結構ストレートに聴いている人に伝わる、というようなことは、前から思っていた。それで、「上手な」演奏よりも「楽しい」演奏を心掛ける。ステージの上で自分が楽しんでいれば、聴いている人もきっと楽しくなるはずだ、というようなことを思っているのだけれど、それとよく似たことをプロの演奏家が仰っている動画を見つけた。

 音楽が素晴らしいのは、演奏家の演奏が素晴らしいからではなくて、第一に残された作品が素晴らしいから。バッハの作品を聴いて素晴らしいと感じるのは、バッハが素晴らしいからなのであって、演奏家はその素晴らしさを聴衆に伝えようとしなければいけない。ところが、演奏家という人は少なからず自己顕示欲を持っていて、それがステージでの緊張をポジティブな力に変えていくことにもつながるのだけれど、それが余りに強すぎて、音楽の素晴らしさを伝えたいという気持ちを上回ってしまうと、それが演奏に載って聴いている人に届いてしまう。作品の素晴らしさを伝えたいという気持ちよりも、自分の素晴らしさを認めさせたいという気持ちが演奏に出てしまって、聴いている人の心に響かない演奏になってしまう。

 音楽を続けていくモチベーションは、本来は音楽の素晴らしさの中にあるべきだ。素晴らしい作品を聴衆に伝えたいという気持ちがまずあるべきなのだが、いつしか、自分が他人から承認されたいという欲求が音楽を続けるモチベーションになってしまうことがある。小さい子供が、熱心に練習をしていたら親から褒められる。そういう経験を積み重ねると、人から褒められたいがために練習をするとか、人から認められたいがために演奏するというようになってしまう。インターネット上に動画をアップする人の動機が、その音楽の素晴らしさを伝えるというよりも、それを演奏している人あるいはそれをアップしている人に注目してほしいというところに重点が置かれがちなことに対しても、警鐘が鳴らされている。

 もちろん、上手に演奏しないことには、その作品の良さも伝わらないし、上手に弾けてこその楽しさなんだけれど、プロの演奏家が言うことだけに説得力があると思う。

 この方、他にもいろんな動画をアップされていて、いちいちなるほどと思う。また機会があれば紹介するかもしれません。